銀柳街のあゆみ

現在の銀柳街あたりは戦後発展をみた訳ですが、 古くは古川と言う川が流れていて一面葦に覆われたまったく寂しいところでした。 昭和10年頃失業対策として川を埋め、下水設備などをもうけたところ 徐々に発展しましたが戦禍によりまた元の荒廃した状態に戻ってしまいました。 戦災による川崎市の打撃は大きく特に中央地区においては、破滅に瀕する状態でした。戦後この荒廃した焼け野原を復興しようと商店有志が集まり本組合を設立いたしました。

その古川のあたりに柳の木が数本あり、戦後21,2年頃地域の住民の奉仕で柳の木を植樹したそうですが、 当商店街でも戦禍による荒んだ気持ちを和らげる意味で、柔軟ながら良く風雪に耐える『柳』を取り上げ、 これに荘重にして深き光をたたえる『銀』をあしらい銀柳街と名づけました。 当初は任意組合として発足いたしましたが、昭和24年5月協同組合組織に変更いたしました。